カミサマごっこ

徒然なるままに、オタクする。

天使のいない12月(須磨寺雪緒√)感想

 須磨寺雪緒という現実の非実在性――リアリティと死生観の狭間で――

 

 どうも、ななみのです。
 はじめましての方ははじめまして、そうでない方はまた読んでくれてありがとうございます。

 今回は『天使のいない12月』という作品の雪緒√の感想記事となります。

 『天使のいない12月』は、2003年にleafから発売されたエロゲです。『うたわれるもの』や『こみっくパーティー』を手掛けたスタッフらによる待望の新作......ということだったらしいです。

 

leaf.aquaplus.jp

 

 詳しくはこちらの方に載せておきます。

 もっとも、『うたわれ』や『こみパ』を知っている方々の大半は『天いな』も知っていそうな気がするので、前置きはここらへんにして感想に入っていきましょう......っととと。

 

 注意書きの前に、未プレイ者に向けてこのゲームの評価を。

 このゲーム、18禁です。や、文字通りなんですけど、それ以上の意味を帯びているのがこの作品でして、誤解を恐れずに言えばゲームはゲームであると弁えられるプレイヤーさんにのみ履修を推奨できる作品かなと。言いかたが難しいのですが、ある種とんでもない危険性を秘めたゲームだと思います。

 しかし、裏を返せばそれはとてつもない名作であるという事実の証拠でもあります。プレイヤーに強く影響を及ぼし得るそのポテンシャル、はっきり言って時代とともにほこりを被っていくにはあまりに惜しいです。2003年に発売されたとは思えないほどに現代の少年少女たちの裸を描いており(意味深)、そのリアリティは特筆に値します。

 未プレイの方々には、ぜひぜひその目で確かめていただきたいなと思います。

 

 以下注意点を二つほど。

 ・ネタバレ全開ですので、未プレイの方はブラバ推奨です

 ・本作は18禁となりますので、高校卒業以前の方に関しましてもブラバを強く推奨します

 

 死生観の傍らで揺れ動く感情

 

 須磨寺雪緒√にてフィーチャーされる生と死の狭間での揺らぎはまず言及を避けられないでしょう。

 重要なことは、主人公くんも雪緒も決して精神異常者じゃないんですよね。雪緒に関しても壊れてしまっていただけです。異常な動作音を上げるパソコンが魔界から送り込まれた侵略兵器だなんてことはなくて、結局バッテリーの劣化が原因だったtりするわけじゃないですか。狂って見えることと実際に狂っていることは同一じゃないわけで、しかし遠目に見れば同じように映るのもまた事実です。

 でも、その場合ってちゃんと近づいて、PCの蓋を外して調べてみたら案外ちゃんと見えてくるもので、クローズアップしていく過程で人物の本性を明らかにしていく、その解像度の変化が極めて自然かつ現実味を帯びているなと感じました。

 例えば、主人公くんって死にたがりさんに見えて、雪緒が妹ちゃんに近づこうとすることにはめちゃめちゃ嫌悪感示すじゃないですか。仮に生死の境目もわからなくなっている精神異常者だったらこんなことしないんですよね。

 彼にとって重要なことはあくまでも自分の周りの世界の存亡なんですよ(「世界が滅ぶわけじゃあるまいし」なんて言い回しも結構繰り返されていましたし)。で、その世界の中に自分が存在しない、できていないことが言いようのない無気力感や生きた心地がしな......まあこれは誤用に近いですが、とにかくそうやって繋がっているわけです。

 それゆえに、自分が死のうと死ぬまいと周りの世界は永続するのだろうと経験的に思い込んでいるわけで、それが自分の存在理由を見出せない理由、消極的な孤独さにリンクしているわけです。

 そんな彼にとって、自分の生死(=この世界に自分が存在するかしないか)が世界の存亡に関わってくる、なんてエヴァみたいな話になってきちゃうのは雪緒のせい(おかげ)なんですよね。

 自分の目の前では雪緒は死ねない。雪緒が死ぬと雪緒に恋している妹の世界が崩れてしまう。だから雪緒を死なせないことが絶対的な存在理由だし、雪緒が纏う死の予感に惹かれてしまうのもそのせいだったりします。

 ここで主人公くんが果たしている役割のバランスって実はものすごく難しいと思いました。生きるか死ぬかに二分した場合、生きるほうに振れれば雪緒が死にかねない。かといって死ぬほうに振れてしまっては雪緒が死んでしまう。だから雪緒に惹かれつつも彼女の観念を否定するというあまのじゃくなことを強いられているわけです。ここらへんの根底にも、主人公くんの周りの世界の捉え方が影響していますね。

 そいで、ここらへんが本当にすごくプレイヤーを引き込んでいくと思う。

 プレイヤー目線でも主人公目線でも雪緒って中盤までは異常者に映るはずで、けれどそこのひっくり返し方から雪緒に近づいていくシーン(犬の墓標に立ちすくむ雪緒から彼女の過去が語られるところ)がめちゃめちゃすんごいんですよ。

 雪緒に共感していく過程の伏線で一気にチェス盤をひっくり返す()んです。このシナリオで雪緒への共感が主人公に芽生える部分です。

 ミクロには主人公も直近で犬を拾っていて、その犬の生死が自分の周りの世界に組み込まれていたことがあります。そして、マクロな視点では、雪緒が語ったところの、受けていた愛情も永遠ではなく、ただそこにあるだけの想いでいつかは失せてしまうというある種の強迫観念......つまり周りの世界が変わっていってしまうことへの強い恐怖感のことだと思いました。

 孤独だったのは雪緒だけじゃなくて、主人公くんもそうだったわけで、自分の周りの世界が滅ぶことへの恐怖を共有できたからこそ、「雪緒のためにできること」なんて発想に至ったんだなーと。

 冷静に考えてみたら、飼っていた犬が死んだことひとつでそこまで人生が狂うことなんてないかもしれない。けれど、飼っていたペット、近しい人物が亡くなるという事象は現実世界にありふれていて、そういった面ですぐそこにあるリアリティと幻想的で狂想的な恐怖心がよくまとまっていて、より一層プレイヤーを刺激するなあと、ただただ泣きました。

 で、ここで主人公くんの心が動いて、雪緒のために死ぬという決断に至るわけですけど、最後の最後でこの心の動きが雪緒に死を躊躇わす原因になるわけじゃないですか。あーー、書いてて泣けてきたわ。自分の周りの世界が変わってしまうことをマイナスとしかとらえていなかったふたりが、それだけじゃないことに気が付いて生きていくことを決意するエンディングと、流れだす『ヒトリ』のイントロ......大号泣のバーゲンセールですよこんなの。マジでずるいんだよなあ。

 

 雪緒シナリオって、タイトル・サブタイ回収が半端ないんですよ。

 タイトル『天使のいない12月』の「天使」とは、ガワこそ人間だけど人間の尺度でものを考えない・生きていなくて、それゆえにかえって儚く美しく映る存在のメタファーで、具体的には雪緒のことでしょう。でも、「天使」はいないんですよね。雪緒は「天使」ではなくて、ちゃんと人間だった。雪緒が人間に感じられたという事実が、主人公くんからの共感を象徴しています。

 それから、「優しさで守れるあしたなんかどこにもない」というキャッチ。これもすごく雪緒√で、結局どんなに優しくしたところであした(≒周りの世界)は守れないんですよね。今日と同じ明日が永続するなんて所詮は思い込みで、主人公くんのそんな先入観をぶち壊す存在こそ「いつ死ぬかもわからない女」こと雪緒だったわけですが、あしたを守ることではなく、日々変わっていくあしたを受容しながら生きていくのだという結論には、優しさ以上の意味を見出せたのだという清々しいエンディングが如実に表れていると見ました。だって、あしたを守る(≒今日と同じ明日をおくる)ためには死んじゃうのが手っ取り早いわけじゃないですか。でも、優しさは生と結びついているから死ぬことと優しさは同居できないというバイアスが雪緒にはあって。そういった点でも主人公くんの答えは雪緒にとって革命的だったんじゃないかなと思いますねえ。

 最後に、副題(?)の「願ったのは束の間の安らぎ、叶ったのは永遠という贖罪」ってやつ。多分、作品全体を通して「体関係で安らぎを得たつもりだったけど、それ以上に『結局は体でしか繋がれず、心を通じ合わせることはできない』ってことがかえって強調されて感じられた」的な意味合いがあるのかなーと漠然と思うなどしてました。

 事実、雪緒√の序・中盤はそうで、安らぎという名の刹那的な生の実感を手のひらで弄んでは失うことを恐れていたわけでして。実際、主人公くんが雪緒のために死ぬことを選べたのはこれが大きい。けれど、終盤をまわってみるとまた意味合いが変わってくる言葉になるんですよね。

 雪緒√のラストで屋上から飛び降りること、すなわち死こそが安らぎで、死ぬという選択肢が消滅した世界で共に生きていくことこそが贖罪になっているんですよね。それ以前ではセックスによる生が安らぎ、雪緒の死に近づいていくことが贖罪と表現されているように感じていて、生死観が真逆になっているんですよね。

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 けれど、ここがめちゃめちゃ興味深くって、最後の最後で「生きていく」という結論を、虚実であり刹那的であると後悔しているんですよね。やばくないですか? リアリティに溢れすぎてて現実味が洪水起こしているんですよ。

 だって、この人たち、端的に言えば生きていくのがしんどくて自殺未遂したわけで、ラストで死生観が180度変わったように思いきや、生きていくのはやっぱりしんどいし辛い。だから生きていくと決めたことは嘘であり一時の気の迷いだったんだなあと悔やんでそれでも生き続けていくわけです。

 このように、後悔し続けていくことこそが雪緒√にあるところの真の贖罪なんだと思います。贖罪というからには罪がある。それは死ぬと決断してしまったこと、まわりまわって生きてしまったことですね。

 最後の最後で、劇的に変わった! と見せかけて、しかし人間はそんな簡単に変われないという事実を突きつけてくるところが非常に残酷でありつつも、並々ならぬリアリティを携えつつふたりのこれからが地平に在ることを暗示していて、雪緒√のエンディングはこれしかなかったと思わざるを得ません。拍手。

 

 最後に

 須磨寺雪緒という女の子は特異なヒロインだと思います。というのも、ぼくは雪緒のような女の子に出会ったことはないし、きっと読者諸兄の多くもそうであろうと推察します。しかし、最後までプレイしてみると不思議とそんな感じもしてきません。まるで、そこらへんにいるひねた女子高生のような......錯覚なんでしょうね。

 それから、ぼくはこの√を鬱ゲーだとは思っていません。陰鬱な雰囲気に包まれたシナリオとその空気感を煽っていくBGMにはお見事というほかありませんが、プラスとマイナスに二分するにはもったいない物語だと言えます。

 

 最後の最後に。

 プレイし終わってから攻略サイトを初めて見たのですが、雪緒√って最初の三択で「どうせ、いまだけだ」を選ばないと入れないシナリオらしくて。

 や、この選択肢についてはまあ同じこと2回書くことになっちゃうので割愛しますが、我ながらよく雪緒√にいったなと思います。 

 だって、見た目だけならぼくは明日菜さんと結婚したいし。

 

 

 おわり 2020年5月末